深田 上 免田 岡原 須恵

幻の邪馬台国・熊襲国 (第6話)

8. 伝世鏡 手ずれの実証的研究(その1)

 本項は筆者が現役のころ、邪馬台国畿内説が「伝世鏡の手ずれ説」を根拠の一つとしていることに疑問を抱き、専門とするトライボロジー(潤滑、摩擦、摩耗など材料の表面強度を研究する学問分野)の観点から、「手ずれ」の実証を試みた研究である。以下は、その論文であるが、原著は、専門用語を使った記述箇所が多く、分かりにくいだろうとの判断で、適宜、補足してある。したがって、原文とは多少異なったものになっており、これまでの記述内と重複する箇所もあることを申し添える。なお原文は、季刊 邪馬台国百号記念論文集の優秀作として「邪馬台国」102号、梓書院(2009年)刊にも掲載された。

8.1 はじめに

 伝世鏡の手ずれ論争において、鏡背面の文様が朦朧(もうろう)化しているのは「手ずれ」によるものなのか、「鋳造欠陥」によるものなのか、考古学や歴史学者の間で議論されてきた。「手ずれ」とは、手磨れ、手擦れとも書くが長年にわたり手掌が固体に触れることによって生じる摩滅のことである。そのキーワードである「手ずれ(摩耗)」や「鋳造」は工学用語であり、特に、トライボロジー分野(主として摩擦・摩耗・潤滑分野を研究対象とするもの)や機械工学ないしは機械材料の範疇(はんちゅう)であるが、工学関係者はこれまで、この議論には無関心で、問題の解明にも取り組んでこなかった。なぜなら、トライボロジーでは個体同士の接触・摩擦・摩耗及び潤滑を対象とするからであり、手掌や人肌と個体の接触は工学的には問題にならないからである。筆者は「手ずれ」機構の解明研究過程において、伝世鏡の手ずれ論争を知り、文科省の助成を得て、トライボロジーの観点で基礎的実験結果をもとに「手ずれ」のメカニズムを解明することにした。

 周知のように、魏志倭人伝によれば、239年、邪馬台国の卑弥呼は魏の皇帝のもとに使い
を出し、魏からは銅鏡100枚が下賜された。その鏡が三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と呼ばれる鏡(第4話、図11参照)で、畿内から多く出土している。しかし、出土した墳墓は古墳時代のものであり、邪馬台国の3世紀頃とは約200年の時間差がある。そこで
邪馬台国畿内自立説の研究者(例えば、小林 行雄氏1))は伝世鏡論を展開し、「手ずれ」をその傍証とした。これに対する反論として、例えば原田 大六氏2)は、朦朧(もうろう)としてはっきりしない字や文様は鏡を鋳造してつくった時の「湯冷(ゆび)え」など鋳造欠陥によるものとした。現在でも、伝世鏡文様の朦朧化が「手ずれ」によるものかどうか議論の決着はついていない。

8.2 「手ずれ」か「湯冷え」かの議論

 手ずれであるか否かの論争は昭和の初期から続いているが1)3)、比較的最近の具体例から紹介する。
図17は、弥生末期から古墳時代初頭の古墳とされる滋賀県の丸山古墳から出土した唐草文縁細線式獣帯鏡(からくさもんぶちさいせんしきじゅうたいきょう)4)と呼ばれる銅鏡である。同図の右は□部を拡大したものである。この部分には鏡名のように、唐草文があったとされるが、朦朧としていて文様の確認はできない。 この朦朧化は手ずれによるものであると、当時の京都大学名誉教授、小林 行雄氏は指摘し、待望の鏡が出土したと、新聞にも大きくコメントされている5)

唐草文縁
図17. 「手ずれ」があるとされる唐草文縁細線式獣帯鏡

 この他にも「手ずれ」か「鋳造欠陥」であるか、古来より議論の的となった伝世鏡として、図18に示すような多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)や方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と呼ばれる銅鏡がある。まず、多鈕細文鏡では、裏面の文様の出方が悪く、かまぼこ縁から中央部に向かって次第に細線鋸歯文が消え、二個の鈕の回りだけに僅かに文様が残っているとされる。この背文様の消失について、大正14年、香取秀真(かとり ほつま)帝室技芸員は、鋳造後、300~400年間の伝世・継承の間に、人が手で撫で触れしたことによる「手ずれ」であると主張した。この帝室技芸員(ていしつぎげいいん)というのは、戦前の皇室における美術工芸品の製作をする工芸家のことである。

手ずれ
図18. 「手ずれ」有無の論争となった伝世鏡二例

 方格規矩四神鏡というのは、香川県高松市にある石清尾山塊(いわせおさんかい)古墳(4
~5世紀)から出土した漢時代の鏡で、数百年にわたり伝世されたものと考えられている1)
3)
。その証として、当時の京都大学教授、梅原 末治氏は、方形中に突出するはずの乳(にゅう)は全て丸く、低くなり、その間に書かれているはずの十二支の文字も消えていることな
どから、数百年にわたる伝世において手ずれを生じたものと考え、その真偽論争の発端となった。

 この方格規矩四神鏡は伝世鏡論争の先駆をなし、古来、今日まで賛否両論がでている。代表的反論者は北九州地区の古鏡発掘調査をした原田 大六氏であり、氏の反論は鋳造欠陥、つまり「湯冷(ゆび)え説」である2)。「湯冷え」とは、注湯時(溶けた金属を鋳型に注ぐこと)に、溶融金属の温度が下がり、鋳型内、特に細く狭い空隙に流れ込まず原型どおりの鋳物(いもの)にならないことをいう。「湯冷え」だけではなく「型くずれ説」や「踏み返し説」など鋳造法による文様の朦朧化であるとする説もでている1)2)

8.3 手ずれの事例

 しかし、これらの事例は肉眼的や写真で見る限り、手ずれによるものなのか鋳造欠陥なのか、その真偽はわからない。そこで、間違いなく手ずれによって摩滅変形した塑像の代表的事例を図19図20に示す。

びんずる像
図19. 信州善光寺のビンズル像、1713年製、ヒノキ

  図19は、撫で仏として庶民に親しまれている「ビンズル像」、「びんずるさん」である。特に信州善光寺のビンズルさんは長年の信者の撫で行為によって目鼻がなくなるほど手ずれ(摩耗)している。ちなみに、ビンズルは、正式にはビンドーラバドラバ ージャと言い、釈迦の弟子の一人、筆頭羅漢(らかん)であった。ビンズルさんは、痛い所や困りごとなど住人の相談にのるなどの僧医行為によって釈迦に疎外されたが、庶民には敬愛され続け、撫で祈願の伝えは現在でも継続している。なで牛とか、なで仏とか、触れたり撫でたりすることによって祈願する伝承は、すべてこのビンズルさんの故事に由来したものである。

ペトロ像
図20. ペテロ像と摩耗した右足(左)、13世紀製、青銅

 ビンズル像の多くは木造であるが、ブロンズなど銅合金像でも手ずれは生じる。代表的な例がローマ・バチカン市の聖ペテロ像(図20)であり、700年間にわたる巡礼者や観光客
の撫で祈願によって足の指先は、同図左のように摩滅して形をとどめていない。この磨滅は、手指で触れたものではなく、伝統的な口づけによるもので、直に見ると人間の信仰心のパワーは計り知れないものであることを感じることができる。ペテロはキリストが最も信頼した使徒で、キリストから天国の鍵を預けられた聖人であり、初代教皇である。

 銅合金製塑像に限定すると、手ずれの例6)は数多くあり、東京浅草の「撫で地蔵」、各地天満宮の「撫で牛」、大阪通天閣の「ビリケン像」、海外では、ローマ・バチカンの「ペテロ像」のほか、クロアチアの「グルグリニンスキ像」、ベルギー・ブリュッセルの「セルクラースの像」、アメリカ・ハーバード大学の「ジョンハーバード像」など撫で祈願の対象塑像ではすべて手ずれが生じている。柔らかい手指で触れ続けただけで何故このように摩耗するのだろうか、以下、指摩擦実験を行い、その摩耗メカニズムを明らかにして、伝世鏡文様の朦朧化は手ずれによるものなのか、その真偽を検証することにした。

8.4 「手ずれ」実験法

 手ずれ実証のための指摩擦試験7)8)図21のような装置を作成して行った。試験機は、固定された供試材を指先で擦ると押付荷重と摩擦力が同時に計測できるようになっている。

実験
図21. 指摩擦実験の方法

 押付け力は5~6N。Nは押し付力の単位記号で、ニュートンと発音する。1kgは約9.8Nである。指の押付け角度は30度、摩擦方向は「押し」と「引き」の往復摩擦、したがって摩擦回数のカウントは1往復で2回とした。摩擦回数は特別な場合を除き1万回、すべり距離にして300mである。

(こす)る速度は0.2m/sec, 被験者は60代成人男子で、指の指紋形態は図22に示すような蹄状紋であった。
摩擦方向
図22. 被験者の人差し指、指紋と摩擦方向

 指先の汗は自然発汗状態(0.5~1.0mg/㎠/min)である。付言すると、擦ったときの抵抗は、摩擦方向や、指紋の形や発汗量によって大きく異なる。擦ったことによる摩耗量(手ずれ量)の測定は、 予め、マイクロビッカース硬度計という硬さを測る装置の四角錐ダイヤモンド圧子を摩擦面につけておき、その寸法変化から、手ずれ摩耗深さを算出した。

8.5 軟質金属の基礎実験結果と考察 - 手ずれメカニズム

手ずれ曲線
図23. 金メッキ膜の手ずれ曲線(擦った回数:すべり距離による摩耗深さ)

 図23は金メッキ膜の指摩擦による手ずれ量の変化である。このような図は摩耗曲線と呼ばれるが、固体同士の摩擦と同じように、大きな初期摩耗を経て漸増し、定常摩耗状態となる。図の縦軸に摩耗深さ(μm)は、長さの単位でマイクロメートル、ミクロンのことである。1μmは1000分の1mmである。

手ずれ曲線
図24. 金メッキ膜の手ずれ、5N , 0.1m/sec

 図24は摩擦前後の表面とその断面を観察した結果である。1万回(摩擦距離300m)の摩擦前後の比較から、摩擦後の表面は指摩擦によって大きく変化し、指角質層による筋状痕跡が発生している。また、同図の断面写真の比較から、1万回の指摩擦によって当初のメッキ膜厚は約4分の1に減っていることが分かる。

銀表面傷
図25. 指摩擦した銀表面の傷、5N ,N=10, 99.98Ag

 図25は純銀(純度99.98%)を10回指摩擦した場合の摩擦面で、右図は、左図の□部を拡大したSEM(走査型の電子顕微鏡)像である。軟質金属では、ただ10回の摩擦だけで、このような微視的な手ずれ(小さな引っ掻き溝)が生じる。

角質層摩耗粉
図26. 発生した銀を含む角質層摩耗粉の分析

 図26は、そのとき採取した摩耗粉の分析結果であり、角質層の中に銀(Ag)成分が包含されている像で、図右下の白い部分が銀(Ag)である。

 まず、図25右において、約500n(nはナノメートル、1nは10億分の1メートル)幅の引掻き線が二本重なりアブレッシブ摩耗(硬い粒子によって引っ掻き削除されるような摩耗:アブレージョン)が生じている。このアブレージョンは、角質層に取り込まれた金属性摩耗粉(この場合は銀:Ag)によるものである。指摩擦すれば指先の皮膚、つまり角質層も当然ながら摩耗し摩耗粉となるが、その中に相手材の微小摩耗粉を取り込むことになる。鉛、金、銅の場合も同様に、角層摩耗粉中にそれら金属成分が検出された 8)

 先ほど、擦ったときの抵抗は摩擦方向が「引き」か「押し」で異なると書いたが、これは指紋の形が異なっていることに起因し、「引き」の方が抵抗は大きく、滑りにくい。これは人間が樹木にのぼり、枝にぶら下がる時に役立っている。

《参考文献》

 1)小林行雄、古鏡、学生社(2000)、
 2)原田大六、邪馬台国論争,三一書房(1969)197-221、
 3)梅原末治、讃岐高松石清尾山石塚の研究、京都帝国大学文学部考古学研究報告 第12冊、昭51、
 4)安土城考古学博物館蔵、重文
 5) 中日新聞、昭和59年9月22日号
 6)J.Sugishita and Others, A study on tactile friction and wear(1st report),
   JSME Inter.Jour.12(2000)901-905、
 7) J.Sugishita and Others: A study on tactile friction and wear(2nd report),
   JSME Jour., C, 47-2(2004) 731-735、
 8)杉下潤二、伝世鏡の手ずれとその真偽、日本トライボロジー会議予稿集、名古屋2008-9、145、

<つづく>  
↑ 戻る 
第5話へ | 目次 | 第7話へ